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岐阜地方裁判所御嵩支部 昭和49年(ワ)9号 判決 1977年5月23日

原告

可児正子

被告

口田明男

ほか一名

主文

一  被告らは各自原告に対し、金五五〇万円及びうち金五〇〇万円に対する昭和四六年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、全部被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告らは各自原告に対し金五八〇万円及びうち金五〇〇万円に対する昭和四六年三月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決

第二当事者間に争いのない事実(交通事故の発生等)

一  昭和四六年二月二八日午後六時一〇分ごろ可児郡可児町塩四四五番地先県道二三〇号線道路上において、原告運転の自転車(以下原告車という)と被告口田運転のオートバイ(以下被告車という)が衝突した(以下本件事故という)。

二  被告口田は被告玉置の被傭者(店員)であり、その業務の執行中、本件事故を起した。

三  原告は本件事故後東濃病院等で治療を受けたが、その治療費(全額支払済)の総額は金一八〇万七四八円、その負担の状況は次のとおりである。

原告が自弁した分 金二〇万五、五六〇円

被告が支払つた分 金八一万九、三三六円

健康保険でまかなわれた分 金七七万五、八五二円

四  原告は可児農業協同組合から自賠責による後遺障害補償金として金一八三万円を受取つている。

第三原告の主張

一  本件事故は被告口田の前方不注視の過失により発生した。

二  原告は本件事故により右膝挫創潰瘍、右膝化膿性関節炎等の傷害を受け、事故当日から昭和四八年八月三〇日まで、東濃病院外二病院の治療を受けたが、全治に至らず、結局後遺症のためびつことなり、いざり歩くような状況で歩行困難となり、生涯を身体障害者として過さねばならない有様となつた。

三  これによつて、原告の蒙つた損害(治療費を除く)は次のとおりである。

(一)  逸失利益

原告(昭和二二年一月二日生)は本件事故当時満二四歳二ケ月の女子で、もし本件事故にあわなければ将来六三歳までの四〇年間就労可能であつた。この間の得べかりし利益を試みに昭和四六年度の女子の賃金センサスを基礎に計算(ホフマン式)すれば別紙「逸失利益計算表」の通り一、一六三万三、三四〇円となる。

(二)  慰謝料

原告は本件事故による前記後遺症のため、生涯を身体障害者として過さねばならない。なお原告は本件事故当時訴外二田昭夫と婚約中であり、三日後の昭和四六年三月三日に結婚式を挙げるべく準備しており、右昭夫の親戚も郷里の秋田県から可児町に既に来ておつたが右事故のため延期となり、三日後の同月六日に医師の許しを得て身体不自由のまま急いで結婚式を挙げたものの、原告の病状は依然としてはかばかしくなく、かくては夫昭夫に対し相済まぬことと考え、約一年一〇ケ月後の昭和四八年一月遂に離別するに至つた。勿論今後と雖も原告の結婚は絶望であり、その身心の苦痛は言語に絶するものがある。よつてその慰謝料は金五〇〇万円が相当と考える。

(三)  弁護費用八〇万円

原告は婦女子であり、もとより法律の知識に乏しく、自ら訴訟行為をすることが出来ないのでやむなく弁護士沖賢翠に依頼して訴訟を起すことにした。その費用として金八〇万円(着手金四〇万円、謝金四〇万円の合計、これは弁護士報酬規定よりも少額である)を請求する。

四  よつて、原告らは被告らに対し、各自前項(一)(二)の合計金一、六六三万三、三四〇円から可児農協から自賠責金として支払いを受けた分一八三万円を控除した残額一四八〇万三、三四〇円中の一部である金五〇〇万円、(三)の金八〇万円、以上合計金五八〇万円とこのうち(三)を除いた五〇〇万円に対する昭和四六年三月一日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五  被告らの過失相殺の主張は争う。

第四被告らの主張

一  原告主張第一項の事実は否認する。

二  同第二項の事実は不知。原告が本件事故により受けた傷は頭部、両大腿挫傷、右母指骨々折、左ひざ打撲及挫傷の三個であつて、それだけならば、入院を要する程のものではない。

三  同第三項は争う。(一)の逸失利益を原告は今後全く労働能力なしとして計算しているが、原告の疾患は労災七級程度であるから、それで計算すると、三八四万七、六七八円である。(二)の慰謝料も一四五万円が相当である。

四  同第四項は争う。

五  本件事故の原因の大半は原告の過失にあつた。その過失の具体的内容の主なものは、次の三点である。

(1)  原告は、昭和三五年頃から脊髄腫瘍で両下肢が麻痺し、歩行困難の状態にあり、自転車に乗ること自体が無謀であつた。

(2)  本件事故の際、原告は法規に違反して右側通行していた。

(3)  原告に前方不注視の過失があつた。

第五証拠〔略〕

理由

一  本件事故の発生は当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第四号証の四ないし七、原告及び被告口田各本人尋問の結果によると、本件事故現場はほぼ東西に直線に走る幅員約四・八メートルの見とおしのよいアスファルト舗装道路上で当時日暮のためすでに薄暗くなつていたこと、被告口田は被告車を運転し右道路を時速約四〇キロで西に向つていたが、本件事故現場の手前で進路前方を一列になつて同一方向に進む二、三台の自転車乗りの学生を追い越すため右に寄つて道路の中央附近を進行していたところ、学生に気をとられたこととたまたま前方約一〇メートル余りの道路右側に駐車中の車のライトのため前方注視をおろそかにしたため、前方を対向してくる原告車に気づいたときには、すでにその距離数メートルの眼前にあつた、そこでブレーキを踏む余裕もなくあわててハンドルを左に切つたが、衝突したこと、原告は自転車(原告車)に乗つて右道路の左側を東進していたが、本件事故現場の手前約二六メートルのところに左側に駐車中の前記車があり、折柄道路左側を対向してくる自転車もあつたので、道路中央部まで出てこれを追越しすれ違つたあとも、道路の右寄り中央附近をそのまゝ進行していて本件事故にあつたこと、原告もまた衝突の寸前まで対向する被告車に気付いていなかつた。以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

右事実よりすれば、本件事故は被告口田と原告の双方の過失によつて発生したことがあきらかである。しかして右過失割合は、特に原告車が自転車であるのに対し被告車が単車で時速四〇キロの速度をもつていたことその他諸般の点を考慮し、原告四五対被告口田五五とみるのが相当である。因みに被告らは原告が当時自転車に乗ること自体無謀といえる身体状況にあつた旨主張するが、原告が当時完全な健康体でなかつたのは後述のとおりであるとしても、証人可児志ず江の証言や原告本人尋問の結果によれば、当時原告は重労働にわたらない限り日常の身体的活動を何ら支障なくやつており、長年自転車で数キロメートル離れた編物教室に通うなど常時自転車を使用していた形跡も窺われるのであり、原告が自転車に乗ること自体過失と見なければならない様な状況にあつたとの点は確認がないから、この点は原告の過失に加えない。

そうすると、いずれにしても、被告玉置が使用者責任を負うべき立場にあることは同被告の自認するところであるから、被告らは原告が本件事故により蒙つた損害を賠償する義務がある。

二  そこで原告の損害について判断する。

(一)  逸失利益

(1)  成立に争いがない甲第二、第三号証、同第四号証の八、同第五号証、同第七号証の三、乙第一、第二号証、証人可児志ず江の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故により頭部両大腿挫傷、右母指々骨々折、左膝打撲挫創の傷害を負つて事故当日から同年四月三日まで可児町土田所在東濃病院に入院し、退院後も同月一二日と二七日の二日同病院に通院して治療を受けたが、指の骨折と頭と膝の挫創は軽快したものの、大腿部と膝の打撲症についてはシビレ感と歩行困難が直らず、起立歩行も介助を要する有様で、同年八月一二日から同年一二月二五日まで美濃加茂市太田町所在野尻整形外科病院に入院し、理学療法等を受けながら、起立歩行練習を行つたが、両下肢の麻痺は改善をみず、退院後も歩行は松葉杖を必要とする状態であつた。しかして、原告は同病院退院後も昭和四七年一〇月頃まで同病院に通院(実日数二三日)したが症状は固定し、今後とも自由に歩くことが出来るようになる見込みがない。このため原告には県からも「坐位又は起立位を保つことが困難なもの」として身体障害者手帳も交付されており、前記野尻整形外科病院の診断結果も「終身労務に服し得ない」となつている(乙第二号証)。

以上のように認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、原告が通常人の労働能力を一〇〇パーセント失つたとしてその主張を構成しているのも、いちおう理解できないことではない。

(2)  しかしながら、前記甲第三号証、乙第一、第二号証のほか、成立に争いのない乙第五号証の一、証人可児志ず江の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告には昭和三五年ごろ名古屋市安井外科病院で脊髄腫瘍の手術を受けた既往症があつて、胸腰椎移行部に亀背著明、重労働や過激な運動はその後も自制していた。のみならず、「両下肢には受傷前より麻痺があつたものと推定され、転倒により病状の悪化をみたものと推定される」(乙第二号証)から、右(1)の結果をすべて本件事故に帰責することはできない。ただ、右受傷前の麻痺がどの程度のものであつたかは本件事故後原告の診察にあたつた医師によるも不明であり(乙第二号証)、本件全証拠によるも確定できない(証人山岸啓一の証言及びこれによつて成立を認める乙第三、第四号証によると、同証人は原告の本件事故前の身体状況を自賠責後遺障害別等級七級程度と推理し、可児農協から原告に支払われた本件事故の後遺症補償金の計算も同趣旨の見解に立つようであるが、本件証拠上、右見解の正当性を証し得ない)。

しかし、前記の如く証人可児志ず江及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故前、重労働や激しい運動はひかえていたとはいえ、平生家事家業(衣料、雑貨商)を手伝い、数キロ離れた編物教室にも始終自転車で通つていた、そして現に本件事故にあつたのも、原告が近々結婚する予定で借りていた家の掃除に行つた帰りであつたことが窺われ、むしろこうした日常的な仕事には何ら支障がなかつたことが推測されるから、前記の如き本件事故後の原告の身体状況と対比すると、やはり今日の原告の後遺症の状態は、大部分が本件事故に起因するものと推測される。

(3)  原告は昭和二二年一月二日生れの女子である(原告本人尋問結果)。

労働省の昭和四六年度いわゆる賃金センサスによれば、満二四歳の女子労働者(中学卒)の平均年収額は金五五万四、〇〇〇円であるが、証人可児志ず江の証言及び原告本人尋問によれば原告も右程度の収入をあげうる労働能力は有していたものと推認される。ただ前記の如く原告は亀背で通常人よりは能力的に劣つていたとみなくてはならないから、原告主張のような計算によらず、便宜、全期間を通じ右年収額により計算する。就労可能年数を六三歳までの三九年としてホフマン方式(ホフマン係数二一・三〇九二)により右期間の得べかりし利益の現価を計算すると、原告の場合前(1)の如く就労能力零とみてよいから、

554,000×21.3092=11,805,296 金一、一八〇万五、二九六円と算出される。

そこで、前記(2)の事情を加味しても、少なくとも右のうち六割相当額金七〇八万三、一七七円は本件事故と因果関係に立つと認むべきである。

(二)  慰謝料

証人可児志ず江の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が本件事故にあつたのは予定された結婚式の三日前の日であつて、右結婚式は日にちを遅らせて実現させたものの、右結婚(内縁)も結局昭和四八年一月ごろ解消するにいたつたこと(尤もその解消の原因が全面的に原告の前記の如き後遺症状のためとみることはできないとしても、それが大きな原因の一つになつているであろうことは推認に難くない)、原告の前記の如き身体状況よりすれば、原告は終生日常の起居も満足に出来ない有様であり、この様な状態ではまず将来の結婚も望み薄という外はない。その他、前記の如き原告の入通院、症状の状況や本件事故に対する原告の過失等、本件証拠にあらわれた諸般の事情を考慮すると、原告の慰謝料は金三〇〇万円と見積るのが相当である。

(三)  弁護士費用

原告が本訴の提供追行を弁護士沖賢翠に委任したことは、本訴の経過自体に徴し明らかである。その費用報酬中金五〇万円を本件事故と相当因果関係に立つものと認定する。

(四)  総括

まず、右(一)の逸失利益に当事者間に争いのない治療費一八〇万七四八円を加えた金八八八万三、九二五円について、前記原告の過失を考慮し、四・五割の過失相殺をすると、金四八八万六、一五八円となる。このうち金八一万九、三三六円は被告が治療費として支弁しているから、これを控除すると金四〇六万六、八二二円となる。

この四〇六万六、八二二円に(二)の慰謝料を加えた七〇六万六、八二二円が原告の総損害額(但し弁護士費用を除く)ということになる。

このうち、自賠責保険から入つた金一八三万円を差引くべきである。そうすると、右金額は金五二三万六、八二二円となる。

三  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、そのうち弁護士費用五〇万円を超える分を除いて正当である。よつて右正当の範囲で原告の請求を認容し、他を棄却し、訴訟費用の負担について民訴九二条但書、九三条、仮執行の宣言について同一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 海老沢美広)

逸失利益計算表

<省略>

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